Top > 辻村久信 > 空虚の坩堝=変成の力
2008年01月15日
空虚の坩堝=変成の力
明けましておめでとうございます。
日本人には零にする能力を持っています。
何も無いという状態を創る事で、新しいものを受け入れ変えていく能力を持っています。
自分というものを投げ出す事はとてつもなく恐ろしい事です。築き上げたものを捨てる事は事の大小に関わらず勇気のいる事です。しかし、その事に執着している事、その事は実は本質から離れていっている事になっているのではないかとも思えます。
初詣でお参りする神社の拝殿にあるものは鏡、榊に白い紙を切って垂らした御幣だけ、何も無い。ほんとうは伊勢神宮の内宮の中に奉られている三種の神器さえ誰も見た事の無い。実は何も無いのかもしれないと思っています。その何も無い空虚の坩堝に意思を感じ、様々な新しい解釈を感じる事が出来る。
実は、この事が日本人にしかない能力なのではないかという気がします。
日本のoriginはそこにあるのではないかと考えています。
平成20年 空虚の坩堝は変成の力に変わると信じます。
投稿者 moonbalance : 19:32
Top > 辻村久信 > 椅子職人の橋本勝己さんのこと
2006年01月31日
椅子職人の橋本勝己さんのこと
椅子職人の橋本勝己さんが亡くなった。
二十年前、僕に椅子の作り方のいろはを教えてくれた親方だった。
木が好きで木のことがよく解っていて、ボンドを信じず"にかわ"を使い、一本のビスさえこだわり、自分で作っていた。
木の反る方向が解って組まれた椅子は、作られたその時よりも時間が経つほどにその強度を増す。それはもう今となっては伝説である。
仕事場に行くといつも椅子の話しを聞いて、息子と娘の自慢話しを聞いて、近所の"蛇の目"という寿司屋でご馳走になった。
いつも駆け出しのデザイナーの無理難題を「しゃぁないなぁ」と聞いてくれた。
橋本さんの作った椅子は、世の中にどのくらいあるのだろうか?
皇室をはじめ公の場にも数限りなくたくさんあるはずだ。
彼の偉大な業績に比べると、その葬儀はひっそりとおこなわれた。
盛大な葬儀がその人間の価値ではないが‥それは、あまりにも切ない葬儀だった。
もう二度とあの椅子は作れない。
残念な事に彼の意志も技術も継ぐ者はいない。
辻村久信
投稿者 moonbalance : 15:20
Top > 辻村久信 > 『オラファー・エリアソン/影の光』展
2006年01月15日
『オラファー・エリアソン/影の光』展
東京でのスケジュールの合間に『オラファー・エリアソン/影の光』展を原美術館に観てきました。
原美術館に行くのは、さて20年ぶりの事でなんだか懐かしいというよりせつない感じがします。
「…影の光」というタイトルもさることながらとても魅力的な作品ばかりでした。
多分うまく解説する人はいるのでしょうが、僕には出来ません。出来ませんが、凄いということはわかります。お笑いに解説を加えるとシラけるみたいに、アートというものもそうゆうものと思います。
こうゆう衝撃的なものを体験すると僕の中に『種』として残ります。その『種』が芽を出す時もあれば、何処かに逝ってしまうときもあります。探そうとしてもみつかりません。どちらにしろ、どんな『種』だったかを思い出す事が出来ません。
投稿者 moonbalance : 20:49
Top > 辻村久信 > 明けましておめでとうございます。
2006年01月01日
明けましておめでとうございます。
十年一昔といいますが、今年は辻村久信デザイン事務所として十一年目の年、新しい十年の始まりの年になります。
10年前の4月29日、当時ナショップのライティングコンテストの最優秀賞でもらった賞金を元手に『京都/雪月花』で独立記念のパーティーを開いた。考えればこれが公には辻村久信デザイン事務所の創立記念日ということになります。実際はその年の2月にはリブアートを退社して、3月からはなんとなく事務所の看板をあげて仕事をしているということになるわけですが、実際はそう簡単にデザインの依頼もあるわけではなく、ただぼんやりと過ごしていたように覚えています。
当時、事務所は麸屋町通り二条を上がったところの路地の奥に三軒長家を借りて、それをひとつの空間に改装して使っていました。
朝は、犬の散歩から始まって一日中電話の前で「誰かからかかってこないかなぁ」と考えている内に夕方になり、また犬の散歩をして家に帰るといった毎日でした。今から考えればよく生活できていたと思います。
そのうち、暇を見兼ねた人達から仕事をいただき(震災の復興計画の一部だったと思います)、ひとつまたひとつと仕事をしている内にあっという間に十年経ったという感じです。自分から何かを仕掛けていくわけでもなく、コンペティションすらあまりしたことがなく、ただ現れる目の前の仕事に夢中になっているうちにここまできたきたように思います。結局、恵まれていたという事です。
さて、これからの十年も多分本質的には同じようにしてデザインしてゆくでしょうが、今年は原点に帰る年としてデザインの在り方、デザインの手法、デザインの意味を問い直し、今まで、とにかく吐き出したものを今度は整理してひとつづつ完成させて行く年にしたいと思っています。
『モノよりコト』この言葉は、僕がデザインというものを始めた頃よく思っていた言葉で、常にそのようなことを言っていました。カタチそのものではなく、そのカタチが生まれる過程、またそのカタチを取り巻く環境を含む関係性をデザインすることを重要と考えていました。今から思えば駆け出しの若造の戯言のようでもありますが、その事が自分のデザインの組み立ての原点になっているのは確かで、今になっては日本人のデザインの手法そのものでは無いかと思うのです。
★辻村久信
投稿者 moonbalance : 20:15
Top > 辻村久信 > 年の暮れ
2005年12月30日
年の暮れ
年の暮れとは言いながら、一向にそのような雰囲気にもならず、いつも通り仕事しています。少なからずトレンドとか言うものに関わりながら仕事しているようで、結局のところ世の中を傍観しているだけで、その渦中にいない自分がおかしくも思えます。
投稿者 moonbalance : 14:19
Top > 辻村久信 > 「SferaBarSATONAKA」
2005年12月29日
「SferaBarSATONAKA」
20代の頃はよくバーで飲みました。ほとんど毎日のように何処かしらのカウンターで飲んでいました。そこにはいつもの顔があり、他には無い特別な世界がありました。
この頃は旅先のホテルで飲むくらいで、特に京都に居る時にバーで飲むことは滅多にありません。思えば寂しいものです。
そんな僕が久しぶりにバーをデザインしました。
Sferaの真城さんとBarMOONの里中さんのクセモノ二人が一緒にBarをするということでデザインさせていただきました。
”月の残像”というテーマでデザインしました。陽の光りを反射しない新月の夜も記憶の中にある月はその残像として残るものです。究極の光りは闇の中でしか感じることができないもので、もはやそれは記憶でしかないと思うのです。
今までのConceptや手法に頼る事なく、全く新しいこと、挑戦的なこと、好き嫌いがはっきりするようなデザインにしました。ここが、デザインの議論の元になれば良いと思います。
とにかく、「SferaBarSATONAKA」が出来たことで僕も京都で飲むことが少しは増えるでしょう。良いのか…悪いのか…
投稿者 moonbalance : 10:58
Top > 辻村久信 > 江戸について/Part 1
2005年12月28日
江戸について/Part 1
今、東京は両国で岩盤浴のデザインをさせていただいています。江戸東京博物館前の北斎通にある”江戸遊”という名前の大規模な銭湯の全館リニューアルに先駆けて、フロアーの一画に『青海波/SEIKAIHA』と言う岩盤浴のコーナーを造っています。
この仕事を始め、ここのところ東京の下町と言われるところに行くことが増えています。そこで感じることは、東京には江戸という街が現存するということ、現在我々が知る東京とは違う文化圏があるということを感じます。…続
投稿者 moonbalance : 10:04
Top > 辻村久信 > 雪について
2005年12月24日
雪について
長期予報に反して、ここのところ全国各地で何十年ぶりというような記録的な大雪に見舞われています。予報は、あくまでも予測でアテにはならないものです。人間が自然を把握することなど到底無理なことなのかも知れません。
元々雪の多い街の人には怒られますが、雪には心引かれます。もちろん音さえ飲み込んで、すべてを白の世界に変える雪の美しさのせいでもありますが、人々の生活を閉じ込めてしまう圧倒的な力に自然に対して謙虚になり畏敬の念を感じるからです。
徐行運転の新幹線の中から米原〜名古屋間の雪景色を見ていると、雪の下でひっそりと息を潜めてこの雪が通り過ぎるのを待つ人達の姿が見えるようです。
投稿者 moonbalance : 08:46
Top > 辻村久信 > SARA
2005年12月03日
SARA
京都デサイナーズウィークのイベントの一環で建築のプレゼンテーション展が北国銀行で開かれました。
僕は、愛知県犬山市で計画しているレストランカフェを併設したシニアホームのSARAのプレゼンテーションを出展しました。
模型とビデオプロジェクターを使って、街の中で街の暮らしと関わりながら生活するシニアホームの未来を提案しています。
僕はかねてから身障者や老人など社会的弱者の為の施設をデザインしたいと考えていました。
今まで僕の知る限りのこういった施設は、そこにいる人達よりケアする側の便利さや使い安さをベースにデザインされているように思います。もっとひどいところはそれさえ考えず無味無臭な経済効率のみを追究したとしか考えられない施設も少なくないようです。
SARAではこのような環境で生活する人達の側に立って総てをデザインすることから始めます。まず自分が介護される側にたってどのような環境で生活したいかを考えます。自分が年を経てこのような施設で生活するならば…を考えてデザインします。このようにして当たり前でそれゆえに画期的な施設をデザインしています。来秋竣工予定です。この施設のデザインについてはまた書きます。
投稿者 moonbalance : 23:40
無題
鉄筋の数を減らしたり、女の子が学校帰りに襲われたり、僕たちは何と言う恐ろしい時代に暮らしているのだろう。
最近は、この手のニュースを見ると本当に吐き気をもよおす。これは、どうゆう感情か?今までモニターの中の他人事と流していたものにリアリティを感じる年齢になったからか?自分の中にある同様の人間性に顔をしかめるからか?
オスカー・ワイルドが『ドリアン・グレイの肖像』で精神の病を肉体をもって癒し、肉体の病を精神をもって癒す。精神の病を官能をもって癒し、官能の病を精神をもって癒す。という意味のことをいっている。
感慨深いものである。昔読んだものが突然現れたりする。
投稿者 moonbalance : 23:18
Top > 辻村久信 > 2004−2005ナショップライティングコンテストの最優秀賞
2005年11月29日
2004−2005ナショップライティングコンテストの最優秀賞
2004−2005ナショップライティングコンテストの最優秀賞を『オイスターバー&チャコールグリル/マイモン』で、優秀賞を『渡月荘金龍/宙SORA光の風呂』でいただきました。
十年前『雪月花』で最優秀賞をいただいたのを機に独立をして事務所を始め、またこの節目の年に同じ賞をいただくのはたいへん有り難いことと思っています。
このような機会を与えてくれたクライアントと挑戦的なデザインを現実にする為に努力をしてくれた人々に対して感謝するとともにこの栄誉を分かち合いたいと思います。
投稿者 moonbalance : 22:59
Top > 辻村久信 > 出張の夜
2005年10月23日
出張の夜
いつも出張にでると夜は一人で過ごす事が多い。
まわりのデザイナー達は酒が強く、クライアントと飲み歩いたりしているが、僕は滅多にクライアントと飲むことが無い。別に仕事とプライベートを分けているわけでは無いが、とにかく常に「デザイン=人」の事を考えているので、独りになって自分の為にぼんやりとした時間を大切にしたいのだ。
今日も結局、ふらふら歩いて焼鳥屋で一杯飲んでホテルに帰って来ました。今はいつものホテルのバーで飲んでます。
なんだか久しぶりに自由な時間です。僕の事を誰も知らず、誰も話し掛けてこない一人の時間。この自由な時間がとても好きです。
投稿者 moonbalance : 00:05
Top > 辻村久信 > デサイナーの一日
2005年10月08日
デサイナーの一日
10月8日土曜日
09:00から社内打ち合わせ数々…、ヒルトンプラザのブティック、静岡の住宅、京都の家具屋のショールーム、SARA・施設、銀座あけぼの浜町本店の照明チェック…この間に来週のスケジュール確認やら、送られて来たメールのチェックと返信、突然の来客(ほとんど出ないけど…)。ちょっと昼休みで近くの蕎麦屋で十割蕎麦をたべて(昼を食べれるのは久しぶり)、その後、上野の複合ビルのファサードのデザインを描いて、バーのコンセプトプランを考えて、新宿のレストランのロゴを描いた。
17:06京都駅発の新幹線で愛知県春日井市のレストランの竣工検査に松本と行く。
現場で一時間程クライアント担当者とゼネコン担当者とチェックして回り、いくつかダメ出して、帰る。
新幹線で21:33京都駅着。
デサイナーの一日は、だいたいこんなものです。でも、土曜日なのにね。
投稿者 moonbalance : 21:22
Top > 辻村久信 > 四万温泉に行って…
2005年10月06日
四万温泉に行って…
朝07:15京都発の新幹線で東京へ。
11:00から代官山で新宿のレストランの打ち合わせ、12:04東京発の上越新幹線で群馬県の四万温泉へ(もう終わってしまったけどNHKの朝の連ドラ”ファイト”の舞台になった温泉地”です。)
8月にオファーをいただき、ようやく今日お伺いして現地を見てお話を聞くことが出来ました。
山道を登りきり四万温泉の街を通り抜け、その道の突き当たりに旅館あります。信じられないくらいの透明な水の流れる川に寄り添うようにひっそりと建つそのちいさな旅館は川魚や山菜を食べさせる料理屋として創業されました。現在は三代目の若主人が両親と切り盛りされている。
この旅館の現状とどんな想いでコンタクトをとられたのかをお聞きし、美味しい焼酎と自慢の川魚料理をいただいた。
私は、デザインの依頼をいただくと、それがどんなに遠くでも(外国でも)…まずその場所に出掛けて行って直接お会いしてお話を聞くようにしている。もちろんその総てをお受けする訳ではありませんが、星の数ほどいるデザイナーの中で私を選んでいただいてコンタクトを取っていただいた事に対するそれが私の礼儀のような気がするからです。
デサイナー自身が思うよりも最初コンタクトを取るときはクライアントは緊張すると思います。どんな事を言われるだろう。気難しい人ではないだろうか。デザイン料はいったいいくらいわれるのだろうか、等等…不安な要素は数限りない。それを乗り越えてコンタクトを取っていただいく勇気にデサイナーは基本的に敬意を払わなくてはならない。そして、誠実にその念いに全勢力を尽くして応えなくてはならないと思います。
辻村 久信
投稿者 moonbalance : 23:32
Top > 辻村久信 > ホスピタルショウ2005
2005年10月03日
ホスピタルショウ2005
9月29日木曜日
今日は、岡部医院の岡部さんと幕張メッセでおこなわれている『ホスピタルショウ』を見に行きました。
現在、愛知県犬山市で『SARA』と名づける施設をデザインしています。
この施設は簡単にいうと”カフェレストラン併設の老人ホーム”となるわけですが、リタイアした人達がもう一度別の形で社会と関わりを持って社会に影響しされながら暮らすことが出来る病院に併設されたレジデンスであり、歴史的な町並みを守りながら犬山の街を活性させる”街創り”の一端をになう建築です。
『SARA』の話しはまた別の機会にするとして…
この施設設計で計画している介護用器具を実際に見て体験する事と新しい介護情報を得るためにホスピタルショウにでかけました。
車椅子にベッド、浴槽と実に様々な機器と考え方が存在しています。しかしどれもデザインがイマイチで「欲しい」と思えるようなものは無く(欲しいという衝動を起こさせることはデザインの一義です)、どうも介助される側より介助する側の論理で作られているようで…。
よく考えれば介助がしやすいということは、介助される側のサービスの質を上げることにも繋がる事になるわけですが、どこか共感が得られなかった。結局、最高の介護は人が人の為にその気持ちと身体を使ってすることしかないので、もう一度そこに立ち返ったうえでそれをさりげなく補助する機能を考えるほかない。やりすぎてはいけない。それと、介護される側にも様々な症状とリクエストがあって、その選択肢を広げていかなければならない。選択肢が多いということは豊かさを表すのだ。
辻村 久信
投稿者 moonbalance : 00:25
Top > 辻村久信 > 新しい建物を造ることについて
2005年10月02日
新しい建物を造ることについて
今日は07:22京都駅発の新幹線で三島から修善寺へ。
11:00から旅館(渡月荘金龍/宙SORA)の新しい食事處の建築関係者のキックオフミーティング。エントランスに空に向けて光の箱が宙に浮きます。来年の7月に出来上がります。
13:00からH邸の打ち合わせ。築40年近く前に旅館として建てられた鉄筋コンクリート造の建物を構造だけを残し全面改装して、ペントハウスを含む四層にリニューアルするもので、姉妹の住む二世帯住宅になる。妹(さっちゃん)は明日結婚式を迎える新婚(おめでとうございます!)。
僕は、やたら古い建物を壊して新しく建てることにそれほど重要性を感じない。出来るだけ今あるものを使いながら新しい暮らしを提案出来ればと思っている。むやみに新しい建築で街の景色を変えたくない。或は一介の建築家が街を変えることに傲慢に感じる。街は、そこに住む人達の日々の暮らしが総意となって創り出すものであると思うからです。だから新しい建物の依頼があってもなんとか既設の建物を使って要件を満たそうとしてしまう。ある意味建築家としては失格かもしれませんね。
辻村 久信
投稿者 moonbalance : 09:50
Top > 辻村久信 > MOONBALANCEのオープンデスク
2005年10月01日
MOONBALANCEのオープンデスク
事務所には常にオープンデスクといわれる人達が何人か居て模型を作ったりスタッフのアシスタントをしたりしている。大学の授業の一旦として来る学生の者ものもいるし、あるいは別の仕事をしながら来ている者もいる。多いときは10人近くのオープンデスクが事務所をうろうろしている。正直、あいつ誰?って奴もいて、業者の方かと思って丁重に挨拶をしてしまうことも…。
明るくてやる気のある人にチャンスを与えるのが目的です。
力のあるものもいるし、やめた方がいいというような人もいる。
今は、沖縄から来ている若者がシコシコと模型を作っている。
辻村 久信
投稿者 moonbalance : 09:54
Top > 辻村久信 > H邸の竣工式
2005年09月25日
H邸の竣工式
朝から事務所で新しいバーのコンセプトデザインとドアノブ(表示鍵)のデザインを考えて、10:09京都駅発の新幹線に乗り、愛知県新守山の住宅の竣工式に行く。
この住宅は普段ムーンバランスで設備設計をお願いしている事務所からの紹介で、まだ若い夫婦が夢をいっぱい持って始めて建てるものです。
クライアントの父親の仕事の関係(設備)で、施工業者も当初から決まっていて、良い意味でも悪い意味でも身内みたいな打ち解けた感じで仕事が進んだ。
出来上がりは、デティールに問題を残すものの暖かい明るい家でクライアントのように若々しいかわいらしい家になった。現場の近くの料理屋でその祝宴となる。施工業者の方々やクライアントのご両親もこられていて、これもまた打ち解けた感じでの打ち上げとなった。
僕たちの仕事はけっして楽しい事ばかりではない。どちらかというと想像したものを形にしてゆく作業は苦しみの連続である。楽しみは始めに何を創るか夢を膨らませるときと、出来上がったものを目にする時だけだ。
そんな仕事をどうして続ける事が出来るかというと「ありがとうございました」の言葉があるからで、人に喜んでもらっているひとの役に立っているという実感があるからです。
辻村 久信
投稿者 moonbalance : 00:17
Top > 辻村久信 > ALEGRIAを観てきました。
2005年09月23日
ALEGRIAを観てきました。
9月18日日曜日
ALEGRIAを観てきました。ドラマチックなサーカスということくらいしか前知識がなく、家族のイベントのひとつとしてチケットを買っただけでした。
唯一、今一緒に仕事させていただいている料理人が、「ものを創っている人間は必ず感動して泣きますよ」といっていたのを期待して観に行った。
結論からいうと、泣きはしなかったけど感動した。
見終わった後、その一瞬一瞬の場面が、まるで夢の記憶のように本当にあったことなのか?どうかわからない曖昧なままの感じの興奮だけが残った。
この感覚は、既視感(デシャブ)の逆のような、いつか必ずこの場面を思い出す事になるだろうという予感に似た想いを感じさせた。
このように形は残らないものの記憶には残るものに僕は強い魅力を感じる。それは僕たちの仕事が必ず形を必要てしているからで、またそれに引きずられる運命を背負っているからです。
辻村 久信
投稿者 moonbalance : 14:39
Top > 辻村久信 > 茨城の地鎮祭で…
2005年09月19日
茨城の地鎮祭で…
9月14日水曜日

茨城県日立市で住宅の設計をしています。
今日は、この家の地鎮祭でした。
こうゆう神様事は地方によって微妙に違いはあるものの一応にして神秘的なものです。
そもそも、地鎮祭は自然のもの(地)に人間が手を加えることに対する戒めと赦しをこい、工事の安全を祈願する政であると理解しています。
祝詞をあげて神様を此処にお呼びして、お願いをしてお帰りいただく。
簡単にはこのような流れですが、この目には見えない神様が今此処にいるような気配を感じるのは、多分こちらが日本人だからだと思います。
これは誰に教えられたものではなくても日本人の血の中に流れる何かがそう感じさせるのでしょう。
頭を下げ、地面を這う虫や蜥蜴を見ながら命の事を考え、
それらを含めた自然を支える大きな力の事を考えていました。
辻村 久信
投稿者 moonbalance : 10:39
Top > 辻村久信 > 辻村らしいって・・・
2005年08月31日
辻村らしいって・・・
「デザインは誰かのために何かをすることです。」いつも僕が言っていることです。どんなときでもデザインするときは、(それが不特定多数の人達に向けてのものであっても)誰かのことを考えて創ります。しかし、「そんなことはどうでもいいから、辻村さんらしいいものを創ってくれ」と言われることがたまにある。自分自身ではあれがしたいこれがしたいというような創作に対する欲望があまりない僕にとって、一番苦手なリクエストである。
また、辻村らしいって・・・どんなモノだろう?と考える。自分はその時々のクライアントの為に創っているわけで、自分で自分らしいモノを意識してデザインしている訳ではない。いくつかの作品に共通するモノを僕自身ではなく廻りの人達が共通項として感じているモノが辻村らしいモノなんかじゃないかと思う。そしてそれは、人それぞれ印象の違うモノであっていいと思う。
でも、最近、自分自身が思う辻村らしいモノってなんだろうと客観的に考えてみるようにしている。
辻村 久信
投稿者 moonbalance : 09:44
Top > 辻村久信 > 砺波市美術館から金沢21世紀美術館へ
2005年08月21日
砺波市美術館から金沢21世紀美術館へ
砺波市美術館の橋本文良さんの誘いをうけて同美術館の『子どもの造形アトリエ』のワークショップに娘(小学校二年生)と参加した。
塗装の養生シートを丸めて筒状にして数百メートルにして、風を送り込んで膨らませるというようなもので、いたって単純なものだかこれがやりだすと暑さも忘れて子供だけではなく大人まで夢中になる。
途中巨大シャボン玉を作ったり、風船を膨らませたり、紙飛行機を飛ばしたりと盛り沢山で楽しんだ半日間だった。
それから午後は橋本さんに金沢まで車で送ってもらって、かねてから行ってみたかった『金沢21世紀美術館』を観た。勝手に辺鄙なところを想像していたので兼六園のすぐそばであまりに町中なので驚いた(後でいきさつを聞いてなるほどと納得)。
人のデザインをどうのこうの言える立場にないのでコメントは極力控えるが、すごくクオリティの低さを感じた。でもそれは酷評ではなく、庶民的というか、アイドル歌手的というか、ちょっと崩しのカフェブームというか、ヘタウマの世界というか、今までの美術館にないポピラリズムを感じた。
現代アートをどれだけの人が理解しているかどうか(実際現代アートは理解とかするものか?)解らないけど、たくさんの人達で溢れていた。美術館が町の人達の日常の場となっているのがよくわかる。
砺波市美術館のワークショップも金沢21世紀美術館もアートが日常のものとなって美術館が町の生活の一部となってゆくことは素晴らしいことだ。
辻村 久信
投稿者 moonbalance : 21:25
Top > 辻村久信 > 終戦記念日によせて
2005年08月19日
終戦記念日によせて
十年前の8月15日、僕はバリ島にいた。
二週間ほどの予定でバリ島にある(離島も含めて)アマンホテルをみてまわる旅をしていた。
図らずも終戦記念日を元日本の占領下にあった地で迎えることになる訳だけれど。それに気ずくのは町中の至る所に貼られている独立記念日を祝うポスターや垂れ幕等によってだった。そのショッキングな赤色に、なぜか反日のムードを勝手に感じ取って、なんだか肩身の狭い思いをしていた。
その時アテンドしてくれていた日系の女性にその事を話すと、僕の知らない終戦当時の話しをしてくれた。
そもそも17世紀以降オランダの植民地であったインドネシアを日本軍はそのオランダを追い出すかたちで占領下に治める。しかし、日本の敗戦が決定するや、再びオランダによって植民地下を目論む侵略が始る。それに抵抗したインドネシアの人達を決起させたものは、同じ小さな島国である日本が世界の大国を相手に戦った、結果敗れたにせよその現実だったという。
また敗戦後、帰還命令の出ていた日本軍兵士の約3割がインドネシアに留まりインドネシア軍としてインドネシアの人達と一緒に戦ったという。今もその時の何人かの元日本兵はこの地に残っていてインドネシア政府から独立の英雄として手厚く生活保護されているという。日本という国はかれらにとって英雄の国であり憧れなのである。
僕たちは戦争というものを話しの中でしか知らない。知識として知っているつもりでいる。しかしその歴史は一方的で偏見に満ちているように思う。
国によって、語る人間の立場によっていろんな側面があって、その見方はどれも真実である。
靖国参拝を非難する中国や韓国、それを肯定する日本政府もおなじで、唯一は広い意味でゆるしあう事ではないかと思う。
終戦記念日に思った事です。
辻村 久信
投稿者 moonbalance : 15:09
Top > 辻村久信 > 黒川勉の死
2005年07月31日
黒川勉の死
独立して間もない頃、新宿のOZONEギャラリーで「辻村久信の家具」というタイトルで小さな展覧会をさせていただいた。当時僕と同世代で独立したばかりというデザイナーが沢山きていただいた。結局それを機会に今もつきあいの続くデザイナー達が沢山居る。その中の一人が当時Hデザインの黒川勉だった。身銭を切って自分のデザインの家具を創りポートレイトを作って若手のファッションデザイナーにプレゼンテーションして廻るというような事をしていると話していた。僕には到底出来ないポジティブさに驚いた、そしてその目の奥にある純粋さに眩しい輝きを確信していた。
あれから10年、いくつもの作品を発表して、僕たちはデザイナーとして何とか知られるようになった。僕たちはそれなりにデザインの力を信じ、それなりに戦って生きて来た。でも、僕たち同世代のデザイナーはいったいなにものと戦っているのだろう。
時々解らなくなる。結局とてつもなく大きなナニモノかに操られているだけで何も変わらない無力感にさいなまれるときがある。
黒川勉の死は僕にそんな想いを起こさせる。
辻村久信
投稿者 moonbalance : 15:06


