荒川益次郎商店ー半襟について

2010-09-06
hanneri.jpgのサムネール画像

江戸時代元禄以降、庶民の服装も華やかに贅沢になり、それにともなって、江戸幕府は身分制度を維持する観点から贅沢禁止令(奢侈禁止令)を発令し、庶民の服装を取り締まっていきました。

そこで、庶民は、上着を地味にする代わりに、下着に贅を尽くすようになりました。

その現われの一つが襦袢です。これらの襦袢には『そぎ襟』というものがかけられていたのですが、このそぎ襟がいつしか『半襟』と言われるようになりました。

最初、半襟は無地でしたが、唐草・麻の葉・紗綾形などの小紋染めや、絞り、刺繍が流行してくるようになりました。刺繍襟は半襟専門の刺繍店が現れるほど、昭和初期までが全盛でした。半襟をたくさん持っている事が、誇りで、桐の襟箱にしまって楽しんでいたそうです。

荒川益次郎商店はその頃の「粋」を表現しました。

(辻村久信)

写真提供:パナソニック電工株式会社

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