JCD創立50周年記念誌

2011-10-20

商環境設計家協会JCDの50周年記念誌で執筆致しました文章を、ご紹介させて頂きます。

この十年を振り返って、いささか主観的ではありますが、日本のデザインの流れを整理し、未来に向けての提言の様なものを考えました。

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日本環境設計家協会創立50周年記念誌 店舗デザインの変遷2000〜2010年
21世紀環境主義の時代 「インテグレーション(全体統合化)の時代」

バブル経済崩壊後90年代は、新しい価値基準に向かって様々な試みがなされた。しかし、どのコンセプトもその方向性を見いだすことができず混沌とした中で迎えた新しい世紀である。そういった意味で2000〜2010年は20世紀を引きずったままの10年であったように思う。ただ、その時代の中でも次世代を予言するデザインの芽は成長を続けていたようである。

90年代半ばから始まったダイニングレストランブームが2000年に入ってもインテリアデザインを牽引していた。デザインの表現としては"反(アンチテーゼ)"を唱えることを前提にした前時代の表現から、社会問題や政治的な動向を包括しながら、デザインが経済の手段として明確な存在意義を示すようになっていった。

しかし、それと同時に、消費に寄り添うことを余儀なくされ、ポピラニズムの中にデザインが埋没されてしまう危険性を孕んでいた。そして飲食空間のデザインは、「癒し」や「柔らかさ」を象徴する時代のムードを汲み取るカタチで、そこから「まったり」とカフェブームへ移行する。これは、いわゆる80年代のグラフィックデザインの「ヘタウマ」と称されるアンチプロフェッショナルな表現に似ている。頑張らなくても良い、消費者にとっての等身大のデザインは「カワイイ」という呪文をかけられて、デザイナーから少しずつメッセージ性を奪いながら街を席巻したように見えた。

2005年以降、都心部では地価の下落と再開発により、コンラッドをはじめとする外資系の超高級ホテルが数多く建築され、それに伴い劇場型ダイニングレストランのデザインの延長線上にあるような華やかなインテリアデザインが数多く発表される。しかしそれらはどちらもビジネスとしてはある程度の成功を収めたものの、そこからは90年代を超える新しいメッセージが生まれることはなかった。

一方で、デザインの表現の場は商環境にとどまることなく、その領域を徐々に拡大させていく。

それは、単純な経済成長というベクトルから離れ、人間/社会/環境といったコミュニケーションに価値を見いだし、持続可能な社会創りへとパラダイムシフトしていく方法論として、デザインの可能性が大きく変わろうとする予兆でもあった。そういった意味で21世紀の幕開けの年に発表された近藤康夫(近藤康夫デザイン事務所)の東証アローズは、情報のコミュニケーションを可視化することで空間デザインの可能性を語る印象深いデザインであったし、オフィスや教育機関等の公共施設へのデザインはコミュニケーションツールとして新たなフィールドを開拓していった。

グローバルな視点で俯瞰してみると、プロダクトデザインをメディアとするインスタレーションや会場構成を中心に日本のデザインが注目を集める。中でも吉岡徳仁(吉岡徳仁デザイン事務所)の創る実験的ともいえる空間表現は、それまでの日本のデザインに期待された東洋のエキゾチックな文脈とは一線を画して、日本人の持つ文化を背景にテクノロジーと情緒を明確なロジックで発信し共感を得ている。2001年に発表された紙の椅子「Honey-pop」、SWAROVSKIのフラッグシップストア「SWAROVSKI GINZA」のデザインなど、彼の仕事のカテゴリーはインテリアデザインにとどまらずプロダクトデザインから建築に至るまで様々な領域の表現方法を横断している。これは2000年以降にデビューする多くのデザイナー達に共通して言えることである。

この傾向は、70年代生まれの多くの建築家たち、例えば佐藤オオキ(nendo)・鈴野浩一と禿真哉(トラフ建築設計事務所)・中村竜治(中村竜二建築設計事務所)・石上純也(石上純也建築設計事務所)などの作品にも見ることができる。

彼らは、建築の領域を超えて(はたまたそれを建築と称するが如く)、プロダクトデザインや商空間を軽やかにインターナショナルな場で発表し、デザインのチャンスを得る。彼らのデザインに共通するものは、経済を最優先したマスプロダクトや建築という箱ものに身体をあわせるのではなく、人の手から人の手に伝わるリアリティーのあるデザインであることだ。単に「カッコイイ」とか「美しい」などの曖昧な表現を嫌い、その表現に至る明確なロジックを伴っている。そのロジック(語れるデザイン)が人々の琴線に触れ、メッセージとして伝わっていくのであろう。そして、最も重要なことは、それらのデザインが使い手であれ、作り手であれ、他者を思いやる愛情にあふれていることである。

すべてのものに有限性があるということが明らかになった今、個人の欲求より地球規模の公益を優先することが持続可能な社会を作ることとなり、強いてはそれが個の豊かさに繋がる。他を思いやる心「利他」が生み出す社会は、サスティナビリティを形成してゆく。そしてその行為の深層は日本人が既にもっている文化や情緒に合致するところが大きい。また、軽やかに異文化を凌駕して自国のオリジナリティーにまで昇華してしまう日本人の能力は他の民族にも負けないものをもっている。

もし、今後そういった日本のデザイン思想がグローバルスタンダードとなることとなれば、そしてその能力を発揮し世界を牽引していくことができれば、人類は持続可能な社会を創る事ができるのではないかと感じる。

2000−2010年は、「21世紀環境主義の時代」に向けて、デザインという手法が有効であるということを案じさせる新世紀の始まりの10年である。

(辻村久信)

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